log3ごたまぜ/黒背景:グロ・流血表現有
『天の岩屋戸の開き方』

 ――コン、コン、コン。
 ドアをノックする音がした。 次いで、ドアの前にいる誰かが何かを話し始める。それは声のトーンからして謝罪、のような、懺悔、のような。
「ねぇ、何回目だっけ?」
 紅茶をカップに注ぎながら誰に向けるでもなく問い掛ける。
「16回目です」
 目の前でソファーに座って無駄に長い脚を組み、ぼんやりと雑誌を眺めている男がそれに答えた。
「そろそろ向こうも精神的に参ってきてるんじゃないですか? いい気味だ。――あ、僕にも紅茶、お願いします」
「はいよー」
 部屋中にふわりと紅茶のいい香りが広がった。それとカーテンの隙間から差し込む太陽の光が相まって、つい眠ってしまいそうになるような午後の心地いい空間が作り出される。
 平和だ。
 ドアの方から延々と聞こえてくる暗い声がBGMではあるが実に平和だ。
 紅茶を味わいながら、ゆっくりと流れる時間を楽しむ。

 ――しばらくするとBGM、もとい謝罪もどきがふつりと止んだ。ぱちり、と一つ瞬きをしてから手に持っていたカップを机に置き、椅子からそっと立ち上がる。音を立てない様に歩き辿り着いたドアに耳を当て、何の音もしないことを確認してからドアを開け――『直訴』と心なしか震えている字で書かれている封筒が床に置かれているのを見つけ――閉めた。
 はあぁぁぁぁー……。
 思わず深いため息をつくと、手元の雑誌から顔を上げ先ほどからこちらを観察している男に話し掛けられる。
「また外れでしたか」
「うん……。今度こそモンサン●レールのケーキくらい持ってくると思ってたんだけど……」
「いや……それ以前に、向こうはまさかケーキなんかで僕達に許して貰えるとは考えていないと思いますよ……?」
 男が苦笑する。
「俺の性格考えろよ! 直訴状とか書くよりは絶対確率高いだろ」
「まあ、向こうもかなり焦ってるみたいですからね……余裕ないんでしょう、多分」
「ご愁傷様ー。今日はスケジュール勝手に調節したから予定もないし、書類とかも全部片付けちゃったから俺が居なくても大丈夫なんだって知らないんだよねぇ、あいつら。教えてないから当然だけど。ま、仕方ないよね、自業自得だし?」
 フン、と鼻を鳴らし、ぼすっと音を立ててソファーに座った。気持ち良い。隣に座っている男からの視線が痛いが気にしないことにした。
「今思えば、なんで部屋に缶詰状態で書類処理っていうある意味拷問みたいなことを二週間も我慢し続けたんだろう、俺。仕事がありえない勢いで増えてくのってほとんどあいつらがミスするからであって、俺が缶詰になる理由は1mmたりともなかったのに」
「誰も聞いてませんよ」
「いいじゃん、愚痴りたかっただけだし」
 そう言うと男は少し眉を寄せ、呆れた、とでも言うようにこっちを見て溜息をついた。くそう、美形は何やっても様になるからムカつく。
「気持ちはこれ以上ないってくらい分かりますけどね。僕も思いっきりとばっちり受けましたし」
「そーだよねー。あーあー……辛い日々だった。……でもそろそろ許してやらなきゃかな……。まあ、静かな午後を過ごせたことだし。それにこれ以上長引かせると本当に会社自体機能しなくなりそうだからねぇ……。そうだな……後何回ぐらい来たら、にする?」 「3回で。それでちょうどいいでしょう」
「分かった。じゃあそれまで寝てるよ。また睡眠不足の日々が始まるだろうからね。頃合い見て起こしてくれる?」
「分かりました」
「よろしくー……」
 答えながらも既に自分の頭は半分くらいしか機能していなかった。目を覚ましたら始まる、仕事に追われる忙しない日常を不鮮明な脳裏に思い浮かべて心の中で苦笑する。本格的に夢の世界に旅立つため、今度はもっと深くソファーに埋もれるようにして沈み込んだ。

 とある会社の、社長と秘書が過ごした非日常が終わる。



こんなノリの話も好き。(部誌より再録)
120309

『呼吸泡』

 お前は何故戦う?
 黒い外套を身にまとった男にそう問われた。答えようと口を開く、けれど私の咽はもう音を出せない。
 沈む、しずむ、シズム。
 ガボリ。耳元で泡の弾ける音。
 ふと水面に顔を向ける。ぼやける輪郭の中に手を延ばす男の姿が見えた。
 おいで。確かにそんなことを言われたような気が、した。
 おいで。
 戦うことしか出来ないけれど、こんな私でいいかしら。
 目で、問う。男が笑んだ。私もつられて笑む。
 返事の代わりにゴボリと口から泡を吐き出して揺れる境界線に手を伸ばした。

(呼吸法)



某初音さん(伏せ切れてない)の「深海少女」を脳内BGMとして流すとテンション上がるかも、ということを書いてから気付いた。
効果のほどは知らないので苦情は受け付けられませんが(笑)(部誌より再録)
120309

『良薬』

 男は研究者である。若いころから地道に努力してきたかいもあってか、今では薬学の権威とまで呼ばれるようになっていた。男はそのことを誇りに思っていた。
 ある時男は妻をめとった。名声のおかげか、男にはもったいないくらいの美しく、よく気が利く女であった。男は妻をこれ以上ないほど大切にした。妻の協力もあって、男の研究は増々はかどった。男は妻に、何か恩返しをしたいと考えるようになっていた。
 ついに研究の成果が出た。男はある薬を作り上げた。体の中から悪い菌やら病原体やらを全て排除する、という効果を持つその薬は、世界各地で飛ぶように売れた。男の知名度は更に上がった。男は満足していた。
 それからしばらく経たないうちに、妻が妊娠していることが分かった。しかし時期が悪かったのか、元々体が弱かったのか、妻は風邪をひいて寝込んでしまった。
「これはいけない。この薬を飲みなさい」
 男は、自分が開発したあの薬を妻に渡した。ただの風邪に対する薬としては、いささか効果が有りすぎるような気もしたが、男は妻を愛していたため、早く治って欲しいという一心で薬を飲ませた。これでやっと妻に長年の恩返しをすることが出来たような気もしていた。もう大丈夫だろう。男は安心して笑った。

 一時間後、妻が病院に運ばれた。
「何故だ……あの薬は完璧だったはず……」
「きっと完璧すぎたのでしょう。このままでは流産の可能性も……」



ショートショートを真面目に書いてみよう企画その一。別名没原稿その一(…)
ありきたりなネタである気がしないでもない。
120309

『宇宙』

 どこにでもあるような教室で生徒が静かに授業を受けている。
「いあさづけちありほうぃzーえぴちううjのよのyさくおyk」
 教師が何事か呟いた。それと同時に結構なスピード本をめくっている。よく見ると、どういう原理なのかは分からないが、めくっているページが巻き戻っている。本が閉じるまでその奇妙な動作を繰り返した後、彼は教卓の横に立って一礼した。生徒もばらばらのタイミングで立ち上がって礼をした。学級委員長らしき生徒が凛とした声で何かを言う。
「いえr。うちりk」
 そうして、これまたばらばらのタイミングで着席をしている間、顔を上げ終わっていた教師が、滑らかな動きで、歩くという言葉を当てはめていいのか分からないが、後ろ向きで、進行方向に背中を向けて歩いた。一端立ち止まって、教室の扉を開け、また同じように、後ろ向きで廊下を歩いて行く。

 休日ほどではないが、有名な某テーマパークは賑わいを見せていた。ここを訪れた人々は、日頃のストレスから解放されたことが嬉しいのか、皆笑顔になっていた。メインアトラクションであるジェットコースターが、とてつもないスピードで上がって、いや、上がっているのは確かなのだが、何故だか後ろ向きに逆走している。頂上まで辿り着いたコースターは今までとは比べ物にならないほど位ゆっくりとした速さで下りて行った。
 近くでは、メリーゴーランドが一定の速さを保ってゆらゆらと逆回転している。流れてくる音楽も、メロディが聞き取れないどころか、曲として成り立っているのかすら分からないような滅茶苦茶な旋律で鳴り響いている。
 人々は皆笑っている。

 道路を見ると、車が逆走していた。信号に至っては、赤から黄に変わり、青が点滅してからようやっとちゃんと点く、といった具合であった。
 飛んでいたジェット機は、自ら出したのであろう煙を飲み込みながら、その煙が出されている方向に後ろ向きで進んでいく。
 先程までは日が高く昇っていたのに、いつの間にか空が白んできている。

 何故こんなに変なことが起こっているのかというと、やっぱりちゃんとした理由があった。宇宙の始まりとされているビックバン、その逆の現象、つまり宇宙の膨張ではなく縮小が起こっているのである。各地で、世界で、宇宙全体で、時間という時間が巻き戻っている。
 実はこういう出来事は今までに何回も何十回も何百回もあった。ありふれたことだった。しかし人間も、動物も、何であったとしても起こっていることに気付いていない。気付けない。
 何故気付けないのか、なぜ混乱が起こっていないのか。
 当たり前である。記憶も体の成長も、何もかもが過去に還っているのだから。記録にだって残らない。何せ機械も、冷蔵庫からスーパーコンピューターに至るまで、全てが巻き戻っているのだから……。

 宇宙は静かに脈打っている。



ショートショートを真面目に書いてみよう企画その二。別名没原稿そn(ry
文字化けじゃ、ないですよ?(ニコリ)
120309

『静劇的アイロニー』

 どこにでもあるような小さい村。私が住んでいるその村で、私は魔女と呼ばれている。

 床が軋む音がした。それに気づいて重い瞼をゆっくり持ち上げるといつも目にしている天井が見えた。
「おはよう、ミーシャ。良い朝だよ」
 声のした方に顔を向ければ彼がそこに居た。
「おはよう、ヘレル。今日も来てくれたのか、ありがとう」
 そう返すと、そんなことはない、好きでやっているんだ、と言った後に彼は困ったような、悲しんでいるような中途半端な顔で笑った。
 彼は次にきっとこう続ける。朝食を持ってきたから……――。
「朝食を持ってきたから、一緒に食べよう」
 私はそれに分かった、と答えて体にかかっていた古びた毛布をたたんで脇に置く。一昨日や昨日までと同じ、何ら変わりはないいつものやり取りだった。

 私が住んでいるのは村はずれにある小さな小屋だ。薄暗い森のそばにひっそりとある、まるで誰にも見つからないよう他から隠されて建てられたような小屋。誰が建てたのか、私が住む前に誰が使っていたのかは分からない。気が付いたらそこにあっただけの小屋だった。
 私がここを使い始めたのは三年前の秋。ちょうどこの国で長く行われてきた魔女狩りの魔手がこんな辺鄙な村にまで伸びて来た頃だった。最初はその風潮に傍観を決め込んでいた村の住人も、次第に――飢饉や戦争が起こる度にこの町に良くないものがいるのではないかと騒ぎ始めた。そして住人達の狂気が暴走したある日、その悪意の矛先を向けられたのは村で一番長く生きている老婆でも、町の中心から外れた場所に住み人と関わろうとしない閉鎖的な性格の女性でもなく――両親が居らず天涯孤独の身となっていたこの私だった。
 斧や鎌を持って私を捕まえようと追いかけてくる村人達から必死に逃げた。怖かった。村の端まで追い詰められ、凶器を向けられ、もう駄目だと諦めそうになった。
 だけれど私は助けられた。庇ってくれたのは彼、ヘレルだ。
 小さい時から、正確には両親を亡くした時から何かと私を気にかけてくれた彼は何とか村人を説得し、村の外れにあった小屋に私が住み村と関わらないようにするのと引き換えに、私を国に告訴するのを止める、とすることでその場は収まった。
 その時から私はこの小屋に住んでいる。
 その時から彼はこの小屋に来てくれている。

 食事を食べ終わる頃、静かな空間の中で彼が口を開いた。
「今日は外に出ないでくれないかい」
「いつもほとんど出ていないじゃないか。……今日、何かあるのか?」
 首をかしげながら問うと彼は静かに言葉を紡ぐ。
「すぐに分かるよ。お願いだから出ないでくれ」
 私が彼の眼を見たままじっとしていると、彼は眉を少し寄せた。
「頼むから。訳は後で話すよ。大丈夫、ミーシャが心配するようなことは何も起きない」
「……分かった」
「約束、だからね」
 しばしの沈黙の後そう答えると、彼は立ち上がった。
 また来るよ、と言って今度こそ私に背を向けた彼を、私は扉の閉まる音が響くまでずっと見続けていた。

 まだ彼に伝えていないことがある。
 以前魔女の身体には痣や黒子のような特別なしるしがあることを噂で聞いた。私の身体にもある。痣や黒子のような生易しいものではない、火傷の痕が。 足に。
 生々しく残っているそれは両親を火事で亡くした時についたものだった。
 まだ彼は知らない。それが、私が魔女と呼ばれる理由の一端を担っているということを。
 まだ彼は知らない。彼に嫌われることが恐くて怖くて、この三年間ずっとその事実を私が口に出来ていないことを。
 まだ彼は知らない。彼が私にとって私の生きる意味となってしまっていることを。
 まだ彼は知らない。私が好きという言葉なんかでは終わらせられない重たい感情を彼に向けているということを。
 まだ、彼は知らない。
 恐怖という化け物が私を襲う。
 いつもと違う日常に私は恐怖した。いつもと違う言葉を疑った。いつもと違う彼に揺らいだ。いつもと違う彼にどうしようもなく不安になった。
 そろりとその場に立ち上がる。窓の外にまだ見える彼の背中を追って、数週間ぶりに扉の外に出た。

 彼の後を追って着いたのは、村の、よく話し合いの場として使われていた広場だった。何故かもう既に村人が何人も、いや、何十人も集まっている。
 予覚。
 何か良くないことが起きるような気がする。
「――だと! ――だろう! ――」
「申し訳――ですが――大丈夫です――」
 大分距離が離れているので会話はよく聞き取れなかった、が、彼と誰かが会話しているのだけは分かった。
「本当に――だろうな――嘘をつくと――」
「――です! ――見ました! ――」
 中央に居るのは、彼と話しているのは誰なのだろうか。遠目から見てもそれなりに高そうな服を着ている。間違いなくこの村の住人ではない。よくよく目を凝らすと同じ服を着ているのがもう二、三人居るようだった。何故だろう、あの服を前にどこかで見たことがあるような気がする。
 もっとよく声を聞き取れないだろうか、そう思って群衆に近づいた。
 ――その時だった。突然彼の叫ぶような声が聞こえてきたのは。
「――本当です! ミーシャは、”魔女”は――に居ます! ――間違いありません!」
 その声で私はすべてを理解した。ここで何が行われていたのか。あの同じ服を着た男たちは誰だったのか。どうして彼らがこの村に来たのか。何故彼が彼らと話をしていたのか。何故彼が私に小屋を出るなと言ったのか。
 答えは簡単だった。どこかで見たことがあると思った彼らは国の役人。その彼らに彼は報告していたのだ。私の居場所を。魔女の居場所を。
 本当に笑えるくらい単純だった。けれどやはり笑いは口から出てくることはない。
 いつかはこんな日が来ると覚悟していたはずだった。けれど彼に見切りをつけられるというのは想像以上に堪えて。心が切り刻まれるように痛くて、痛くて。
 目の前が真っ暗になった。
 私は一度も後ろを振り返ることなく駆け出していた。

 どうやって帰ってきたのかは分からない。ただ気が付くと出て来たはずの小屋の前に居た。
 呆けたまま中へ入る。扉が重苦しい悲鳴を上げて閉まった。足から力が抜けて床にへたりと座り込む。見えているもの全てが額縁に入った絵のように曖昧で現実味がなかった。

 嫌われた嫌われた嫌われた嫌われた嫌われた。魔女だと罵られ畏れられている私が彼は嫌になったのだ。いや、もしかしたら――最初から嫌いだった?魔女と呼ばれる私に表面上は親愛の情を与えるふりをして、陰で同情し嘲笑していた?
 後から後から疑念が湧いてくる。
 それはコップから溢れ出る水のように止まることなく私の心を侵食し続けた。
 何故?何故?私が何をした?一体私が何をした?私が何か許されないことをしたのか?私はただ、普通に暮らしていたかっただけなのに。ただ、彼と二人で静かに暮らしていたかっただけなのに。
 彼がいない私の人生は生きていないのと同じだ。彼に捨てられた私は私にとって存在価値がないも同然だ。
 では――今私が生きている意味は、何だろうか?
 ――彼に捨てられた私は今、本当に生きているんだろうか――?

 ふと視界に鈍い光を放つ銀色が見えた。以前彼が、ヘレルが果物を剥くために持って来ていた小さなナイフ。その危うい輝きに誘い込まれるようにそれが置かれている机の側までふらりと歩く。
 震えが止まらない右手でそっとそれを取った。目の高さまで上げて暫し眺める。詰めていた息を吐いて、下げていた左腕をゆっくり持ち上げる。そして持っていた銀の刃を左手首の動脈にぴたりと当てた。
 もう自分でも何をしたいのか、何をしているのか判断がつかなかった。
 ナイフの柄を握っている手に少しの力を込める。ぷつりと切れる皮膚。じわりと滲みだす赤。そのまま刃を手前に引いた。肉と肉の間を固く鋭利なものが通る感覚が堪らなく気持ち悪くて、でも気持ち良い。
 手首を伝って流れ出る"私だったもの"に私の生を肯定されているようで。
 私は今生きているのだと言われているようで。

 かたり、とどこからか音が聞こえた。ふっと顔を上げるといつの間に近くに来ていたのだろう、ヘレルの顔が見える。
「――ミー――、そこ――何を――だ? ――」
 彼が何事か呟いた。いや、私に話しかけたのだろうか。
 だがそれも、今となってはどうでもよいことだと思った。
「――シャ――! 血が――ないか――ミーシャ――! ――」
 私の左手を取り未だ滴る赤を拭った彼は、悲痛な顔をしながら私を抱きしめた。伝わる温かなぬくもりがガラス一枚隔てているかのように驚くほど私の中まで伝わってこなかった。
「――ミーシャ、どうして――」
 彼が私を抱く手にぎゅっと力を込めた時、唐突に私の中から欲望の塊が首をもたげてきた。
 ――――彼を私のものにしたい。彼は私を捨ててしまった。心は私から遠く離れてしまった。ならばせめて、彼の命だけでも私のものに――。
「――ミーシャ――」
「嘘にまみれたこの手で貴方を抱きしめてもいいか」
「――え?」
 自嘲気味な台詞を吐いて左の腕をそっと上げて彼の背中に回した。そのまま力を込めてぎゅうと抱きつく。彼が少し戸惑った気配がした。
 大丈夫、私が右腕を下ろしたままだということを彼には悟られていない。彼がこの小屋に入ってくる前からずっと握りしめていたナイフの向きを反対にして持ち直す。彼は私を抱きしめながら喋りかけているから私の不審な動作に気付くはずもなかった。
「ミーシャ――どうしたんだい――ミーシャ――」
 彼の頭の高さまで持ち上げたナイフが窓から差し込んだ夕日の光を受けて光る。焼けつくような朱。私は薄く微笑んでいた、ような気がする。
 彼の背中に向かって勢いよくナイフを振り下ろした。

 視界に赤が飛び散る。



部誌の企画に投下したもの。台詞御題は『嘘にまみれたこの手でお前を抱きしめてもいいか』(人称は変化可)。
これで如何に厨二な作品を書き上げられるか〜なんてことをやっていたのですが、うん、どうしてそうなった(^u^)全てにおいて問題しかねえよ。誰も企画を止めなかった不思議。これぞ文芸部クオリティ。いや書いてる最中は楽しかったけど(…)推敲し始めた時点で賢者タイム突入してました。
このままバッドエンドでも良いのですが、ハッピーな方のエンドも考えてあるのでいつか書きたいです。……いつかきっと!←(部誌より加筆修正後再録)
(↑どうやら続きを書く時間も度胸(厨二的な意味で)もなさそうなので裏話。話の流れとしては、ミーシャ処刑話が村で持ちあがる→ヘレル役人の動向を察知→役人言いくるめ、ミーシャを逃がす時間を稼ぐ→小屋に戻ったらミーシャが一時的狂気なう←イマココ!てな感じでした。ヘレル救われねえ……)
120309(加筆修正:120415)

『サンタマリアにさようなら』

 同じ街に住んでいた。同じ、他人に羨まれるくらい裕福な家に住んでいた。だから、必然とでも言おうか、彼女の家とも彼女とも、他の家よりは付き合いがあった。そして何より――これが一番の理由だと思うが――彼女は美しかったのだ。だから自分が彼女に惚れるまでそう時間はかからなかった。
 そのうち自分と彼女の共通点はもう一つ増えた。ある晩、自分と彼女の親は殺され、共に親なし子となったのだった。それをやった男の顔はわれていた、なんとなくではあるが親が襲われた理由も分かっていた。けれど犯人が捕まることはなかった。だから彼女は余計に酷く悲しみ、塞ぎ込んでいた。
 見ていられなかった。
 慰めてあげたいと思った。
 だが親が居なくなった自分と彼女の間には繋がりと呼べるものはなくなっていた。それが嫌だった。だから話を持ちかけた。彼女との繋がりを消さないために。
 復讐しよう。
 僕たちの親を殺した奴に。
 殺したことを後悔させてやろう。
 彼女にとっては悪魔の囁きとも言える自分の言葉に、彼女は虚ろな目で頷いた。それで良かった。それだけで良かった。
 彼女を繋ぎ止めるためなら、復讐などという酷く醜く脆いものでも何だって良かったのだ。

 自分が独り善がりな約束を彼女に取り付けてから二年が経った。
 街にはあの、自分たちの親を殺したという殺人鬼が居るという噂が立っていた。昨夜は街の警官との銃撃戦があったらしいことも聞いた。
 犯人の顔を見ている自分と彼女を殺しに来たのだろうか。あの日から襲われ続けている不安が日に日に大きくなっていく。何かあった時の保険として、彼女を自分の家に住まわせていたが、それでも昨日は怖くなって、いつもしている夜の挨拶を済ませた後、彼女の許可も取らずに彼女の部屋に鍵をかけてしまった。怒っているだろうか。
 それでも、説明すれば彼女ならきっと解ってくれるだろう、と適当にあたりをつけて、謝りに行くために彼女の部屋を訪ねた。どこか物悲しく光っている鍵を外してドアをノックする。応える声は、聞こえない。不審に思って、入るよ、と一声かけてから扉を開いた。
 彼女はそこに居なかった。
 視界がぐらりと揺れた気がした。今までにない程自分が動揺しているのが分かる。まさか殺人犯に連れ去られたのだろうか。だがドアにつけた鍵は一つしかない。自分が持っていたこの一つしか。ではどうやって――。
 そこまで考えたところで、部屋にある窓が、不自然に少しだけ開いているのに気付いた。普段彼女に窓の鍵をかけておくようにと強く念を押しているのに、殺人犯が近くに潜んでいるかもしれないというこの危険な状況で、まさか自ら一人で外へ出たというのか。血の気が引いた。
 窓に駆け寄り、開けて下を見る。一昨日から降り続け積もっていた雪に、小さな足跡が残っていた。

 外へ出て、まだ薄暗い中、彼女の足跡を追う。幸いなことに、それは途切れることなく続いていた。
 辿って辿り着いたのは彼女の生家だった。ああそうか、と安堵する。しかし同時に、どうして、という不審が大きくなった。
 玄関から中に入って、音を立てないよう――自分でも何故そんなことをしたのかは分からなかった――彼女を探す。
 結局、リビングや彼女の寝室、彼女の居そうな場所を探したが、彼女の姿は見えなかった。一度家まで戻ろうか。彼女はもしかしたら部屋に戻ってきているかもしれない。
 探すのを中断し、そんなことを考えながら玄関まで引き返そうとした、その時だった。ガタン、という何か固い物にぶつかったような音が、家の奥の方からした。奥には使用人が使うような小部屋しかないはずだった。どうしてそんな所から、と思わないでもなかったが、これでやっと彼女を連れて帰ることが出来る、そんな安心感から軽い足取りでそちらの方へ向かう。よくよく耳を澄ませば、小さな物音が聞こえてくる。何故今まで気が付かなかったのだろう、と自分で自分に呆れながら、音が聞こえる部屋のドアノブに手をかけ――そこで体の動きが止まった。
 この扉を開けてはいけない気がした。
 開けたらそこで、何かが変わってしまうような、何かが終わってしまうような、そんな――。
 躊躇いを払うように首を振る。硬直していた手を無理に動かしてノブを捻った。途端にまたガタリ、と音が響く。扉は開かれた。
 その先には、包丁を握って、こちらを威嚇している彼女と、血に塗れ、俯いた男が、いた――。
「――何を、して、いるんだい――?」
 喉がからからに乾いて言葉が上手に出せない。
「――何を……?」
「出て行って」
 唐突に彼女が言葉を遮った。彼女が手に握っていたらしい包帯が床に転がる。よく見ると男の傍に以前自分が彼女にあげたはずのポシェットも無造作に置いてあった。うっすらと血に染まっているそれが、彼女の自分に対しての裏切りを表しているようだった。
「今すぐここから出て行って」
「何故……?それに、その、男は――」
 そう言いながら男の方を伺って、息を呑んだ。俯いていた男は、いつの間にか顔を上げてこちらを見ていた。顔の半分が血に塗れてはいるが、この男は――。
「その、男は――僕たちの親を殺した奴じゃないか!!!」
 息を荒げて叫ぶ。辺りに一瞬の静寂が訪れる。
「なんで、どうして、そんな男の手当てなんかしてるんだ……?復讐、しようって、約束したじゃないか――!!」
 彼女の表情はピクリとも動かなかった。
「ここから出て行って。今出て行かなければ、ここで、貴方を――」
「――もういい、後は俺が言う」
 それまで黙っていた男が彼女を庇うように――彼女はどこか震えているようだった――口を開いた。
「でも……」
「いい。……おい、男。ここから立ち去れ。そして、俺たちがここに居たことは誰にも言うな。この二つの条件を破れば、その時点でお前の命はないと思え。どこへ逃げたとしても必ずお前を殺してやる」
 そう言う男の目には狂気とも取れる危なげな光が宿っていて、思わず言葉を発しようとするも、その空気に気圧されついぞそれは叶わなかった。男は至極ゆっくりと体を起こし、彼女の肩に手を回してこちらの方に歩いてくる。
「まだ、傷が塞がっていないのに……」
「これくらいなら大丈夫だ、気にすることはない」
 男と彼女の会話が、まるで遠くで起こっている出来事のように聞こえた。
「退け」
 男が殺気と共に言葉を飛ばして来る。恐怖でやっと体が少しだけ動くようになった。口から、喉から、空気を絞り出すようにして彼女に向かって、うわ言のように言葉を紡ぐ。
「――なんで、そいつなんだい。君はそんな人間じゃないはずだ。君はそんなところにいていい人間じゃない。戻って来て……今ならまだ間に合う……」
「貴方に関係ないでしょう。なんでかって?当然じゃない、この人のことが好きなのよ。ただそれだけ。理由なんて、それ以外の何があるっていうの」
「どうして、ぼくじゃないんだ……」
「それこそ決まってる。確かに世話をしてくれたことに関しては感謝してるわ。でもね、貴方、やりすぎなのよ。軟禁状態で、いちいち干渉して、挙句の果てに鍵までつけて――気持ち悪いわ」
 彼女は男を支えながらドアの方に歩いてくる。男が軽く自分の肩を突き飛ばしたのが分かった。壁にぶつかって背中に痛みが走るが、彼女と男が部屋を出て行くのを呆然としたまま眺める。
 二人が自分の前を通り過ぎる時、男が勝ち誇ったように凶悪な笑みを浮かべるのが見えた。
 ああ、負けた。
 そう悟った。

 こうして僕の狂気にも似た恋は終わった。

(そうして かのじょは ぼくのこころをころしていった)



部誌の企画に投下した作品。まさか自分で入れた御題が当たるとは思わなくてだな……(gdgd)
女性視点もちょっと書きたいけどこんなに厨二なものをいじる勇気はないのできっと実行はされない。
御題は『虚と実』『ポシェット』『包帯』の三つでした。さて私が入れたのはどれでしょう?(部誌より加筆修正後再録)
120309

『シャングリラにて、ぼくら』

 心地好い澄んだ風が吹く。目の前にある湖の水面がそれによって細かく揺れ、至る所で光の芸術を生み出している。
 まだマフラーなしでは寒い季節ではあるが、春になると昼寝をするのには丁度良くなるこの場所で、僕たちはいつものように穏やかな時間を過ごしていた。

「もうこんな時期なんだね」
 僕の肩に寄り掛かり、同じように湖を眺めていたミラがふと何かに気付いたように口を開いた。
「何が、こんな時期なの?」
「ううん、ルイももうすぐ卒業するんだなあって思って」
 思わずミラを凝視してしまった。今まで彼女の方からそんな話題を振ってくることはなかったから。
「どうしたの、珍しいね」
「何か、最近ちょっとだけ暖かくなってきたなって。それで、もう三月も終わりかーって考えてたら、あ、あとちょっとで、卒業の時期なんだなって気付いたんだ」
「……なるほど。……ねえ、僕が卒業したら、寂しい?」
 自分の興味からそんなことを聞くと、彼女は一瞬きょとんとした後、首を横に振った。
「ううん、別に」
「……そう」
 仮にも恋人なのに。確かに彼女らしいと言えば彼女らしいのだが、少し寂しい。不覚にも受けたダメージをなるべく少なくするべく、僕は言葉を続けた。
「なんで、寂しくないの? 僕とこうしてここに来られるの、あとちょっとしかないんだよ?」
「それを言われると、ちょっと寂しいかもしれないけど……でも」
「うん?」
「やっぱり、寂しくなんかないよ。だって、また絶対、会えるでしょ」
「え……」
「あたしはルイに会いに行くけど。ルイはあたしに会いに来てくれないの?」
「いや、勿論会いに行くよ!行くけど……」
「けど?」
「そっか……そういう考え方もあったんだなって」
 自分の髪をぐしゃりとかきまぜる。彼女の言葉で自分のモヤモヤした気持ちが晴れた気がして、本当にミラには敵わない、と苦笑した。
「うん、会いに行くよ、絶対」
「嬉しい。楽しみに待ってるね」

 淡い桃色の花がもうすぐ咲き誇る。弥生と卯月、一つの終わりと始まりの境目を告げるかのように。
 けれどもう、寂しくなんかはなかった。
 会おうと思えば、どこかでまた会えるのだから。
 この終わりは別れではなく、単なる一つの節目なのだから。



卒業する我が校の先輩方に向けて。(部誌より再録)
120309

『台風襲来!』

 部活帰りに兄に遭遇しました。
「よっ、亮」
 軽いノリで話しかけられました。
「どうしたんだよ、何か返事しろ。おーい」
 因みに、兄はここ二年間、連絡先も告げずに家を出て行ったまま、電話一つ手紙一つ寄越したことがありません。しかも、本人に反省した様子が全く見られません。
 これはもう、殴っていいレベルなんじゃないだろうか。

 驚きと呆れのあまり、肩からずり落ちそうになった通学鞄を抱え直す。そして空いた方の手で顔を覆って盛大に(この時、相手に聞こえるようにやるのがポイントだ)溜息をついた。
「溜息つくと幸せが逃げるぞ」
「アンタの存在がその幸せとやらを俺から奪ってるんだよ。……で、何でアンタこんなところにいるの?」
 どうやら反省どころか自覚もしていないらしい。脳天気な会話を続けようとする我が兄に対して、故意に棘のある言葉を使って質問という名の尋問を始めることにした。
「いやいや、こんなところって、家の近くじゃん」
「だから?」
「は?」
「だから、家の近くに来て何するつもり」
「いやいやいやいや家の近くまで来たらもう家に帰る位しか用ないだろ」
「で?」
「……あの、亮さん?」
「家に帰ってどうするの」
「いやあの」
「二年間も連絡一つ寄越さないアンタが家に今更何のようがあるのかって聞いてるんだけど」
「……」
 痛いほどの沈黙が場を支配する(こちらにとっては痛くも痒くもないが)。よくよく兄の中途半端に固まった笑顔を見ると冷や汗が出ていた。いい気味だ。しかしこのままではいつになっても話が進まないので、こちらが先に折れてやることにした。
 決して、兄が可哀相になった、とかではない。
「じゃあ質問を変えるよ」
「……なんだ」
「今まで連絡もせずに一体何をやっていたのか、三十一文字以内で説明して」
「みそひともじ……!?えっと、だな……自己探求と社会勉強を兼ねた就職活動……?」
「あ、そう。じゃあ何で家に連絡しなかったの」
「……なんだろう、なんか悲しくなってきた……。あーうん……理由ねー理由……」
 視線をあちこちさ迷わせ、尤もらしい顔付きでたっぷり十秒程考え込んだ兄は、やがてゆっくりと顔を上げて、戸惑うように頭の中で弾き出したであろう結論を告げてきた。
「……忘れてたじゃ、だめ?」
「ふざけんな、この親不孝息子!」
「それお前の台詞じゃないだろ!痛っ!」
 雪だるま式に溜まっていたフラストレーションを、兄の頭を叩く手にのせた。
 クリティカルヒット!
 こうかは ばつぐんだ!
 うん、ちょっと気分が晴れた。
「まあここまで来ちゃったんだから、存分に父さんと母さんに叱られて来なよ。傍で生暖かく見守ってあげるから」
「そこは温かく見守ろうぜ弟よ……いやなんでもない今のは俺が悪かったからその道端の石でも見るような目は止めて」
「……。いいから、ごちゃごちゃ言ってないで、行くよ」
「……いやでもよ」
「何、何かまずいことでもあるの」
「……合わせる顔ないかなって……」
「……へー、ふーん、そう」
「……何だよ」
「親には合わせる顔がなくて、弟にはあるんだ」
「いや、そういう意味じゃ」
「弟なら別にいいんだ?心配かけても迷惑かけても。よくないはずなんだけどな、俺の常識では。まあアンタの常識では違うかも知れないけど」
「……俺の常識でもそうだっての」
「じゃあ何か俺に言うことあるんじゃないの」
 今度こそ本当にしょぼくれた顔をした兄は口から言葉を搾り出すように紡ぎ出した。
「……申し訳ございませんでした」
「……よろしい。あと、合わせる顔ないとか考える位だったら最初から連絡寄越せ。以上。ほら、今の調子で父さん達に謝りに行くよ」
「……はーい」
 いやだから、兄の表情にちょっと心を動かされたとか、ない。
 断じて。

 余談だが。
 あの後、家に連れ帰って、兄は父さんからそれはもうこっぴどく叱られた。が、叱る側にも叱られる側にも顔に少しの笑みが浮かんでいたというのは、本人達は知らない事実だ。



兄弟ネタも大好き。ツンデレでも仲良しでもどちらでも美味しい、よ!(…)(部誌より再録)
120415

『僕が晴れた日』

 伸ばした手は届かなくて、僕の手は空気を掴んだだけだった。

 ガン、ガン。目の前の厚くも薄くもないドアを、叩いた音が廊下に響くくらい強くノックした。少しやりすぎたかと一瞬思ったが、一向に中で人が動く気配がしない。へんじがない。ただのしかばねのようだ。じゃなくて。
「おい、ソーニャ」
  部屋の主に、後で屁理屈をこねさせないために、普通部屋の中にいても気付くと思われる音量で一応声をかける。しばらく待ってみたが、やはりというか無反応だった。へんじがない。ただの以下同文。眉間にしわがよるのが分かったが、仕方なくもうドアに向かって手に伸ばした。ガン、ガン。ガンガン、ガン。相変わらず中から返事は聞こえない。ノックしていた方の手が少し痛かったが、ここまでくるともう意地だ。ガン、ガンガン。ガン、ガン。もう数回叩きつづけ、もしかして 本当に留守なんじゃないか、いやでも鍵はかかっているから絶対にいるはずだ、もういっそこのドア蹴り破ってやろうか、などと思いはじめたところで、ガチャリという音がして扉が開か れた。僕の視線より少し低い位置にひょっこりと銀白の頭がのぞく。
「うるさい、アル。なんの用」
 ドアの隙間から半目でにらんでくるソーニャに、僕は思わず怒鳴った。
「うるさいってなんだ! お前がいつまでたっても出てこないからだろ!」
「ノックの音小さかったんじゃ」
「お前今うるさいって言ったじゃないか! あの音量でずっとノックしてたんだぞ、僕は!」
「なんて近所迷惑な……」
「その近所迷惑な音量でも気づかなかったのはどこのどいつだ」
「……アル、ノックしただけで声かけてないでしょ」
「いーや、かけたね。返事がなかったからまたノックしたんだ。気付けなかったソーニャが悪い」
 僕がそう彼女に告げると、彼女はきまり悪そうに視線をさまよわせた後、ふてくされて頬をふくらませた。
「…………自分の部屋の掃除はどうしたの」
「俺はもう終わった」
「……早くない?」
「お前が遅いんだ。俺と同じくらいしか物持ってないくせに、どうしてそんなに時間がかかるんだ。……って、どうせ掃除中に見つけた本か何か読んでたんだろうけど」
「すごい。よくわかったわね」
「去年も一昨年もほぼ同じやり取りかわしてるんだ、分かんない訳ないだろ」
「…………そうだっけ」
 因みに、去年と一昨年だけではない。その前の年も、その前の前の年も、つまりはソーニャがここに来てから毎年やっていることだ。もう年末の行事の一つというか、通過儀礼のようなものになってしまっている。首をひねってとぼける彼女の頭を軽くはたいて、僕はため息をついた。
「ほら、さっさと片付け終わらせるぞ」
「あれ、手伝ってくれるんだ」
「お前の部屋が片付いてないと、結局手伝わされるの僕なんだよ」
「はあ……それはまた……ご苦労様です?」
「誰のせいだと思ってる」
「私、かな」
「分かってるなら早く終わらせろよ……」
  面倒くさそうに部屋に戻る彼女の後を追って中へ入る、と、そこで目にしたあまりの惨状に僕はたまらず声を上げる。
「汚ッ!」
「アル、酷い」
「いや、だってお前、これ……汚ッ!! 何をどうしたらこうなるんだよ! おかしいだろ! さっき空き巣に入られたんだって言われても僕は驚かないぞ……!」
「…………最初は掃除してたんだけど、前に買った本をもう一度読み返したくなっちゃって、でもまだ掃除終わってなかったから、十分くらいで止めて、後で見ようと思ってそこに置いておいたの。で、掃除を再開したら今度はなくしたと思ってた本が見つかってついつい……」
「完全に負のサイクルにおちいってるじゃないか!」
「私は甘かった……まさか掃除にこんな悪魔がひそんでいたとは……」
「お前実は馬鹿だろ」
「ちょっと、失礼じゃない、アル」
 物言いたげにこちらを見るソーニャに、あーはいはい、とおざなりな対応をし、腕まくりをしながら僕はもう一度ため息をついた。  数十分後、ソーニャの部屋、というか床の上は、見違えるほどきれいになっていた。毎年のことながら、部屋の主より僕の方がよく働いているなんてどういうことだろうと思う。まあ、彼女に積極的に掃除をさせることは、数年前に半ばあきらめていたりするのだけれど。
「こんなに早くきれいになるなら、最初からアルがやればいいのに」
「僕はお前の家政婦じゃない」
 僕の半分くらいしか働いていないはずなのに、疲れた、と態度に出すソーニャを横目に見ながら、棚の中をふいていく。ここを片付ければ、あとは掃除機をかけるだけで終わるはずだ。そう思って、ふと床に置いた棚の中身に目をやると、ガムテープでぐるぐる巻きにされた見慣れない箱を見つけた。
「なあ、ソーニャ、これなんだ?」
「え? ……あれ、アルに教えてなかったっけ」
「え……うん」
「結構前からあったんだけど……逆に今まで見つけてなかったことにびっくりね」
「そんな前からあったのか、これ?」
「うん、三年前くらいから」
「へえ……中身なんなんだ? つか、 なんでこんなにテープ巻かれて……」
「ああ、それ……開けたいような、開けたくないような、微妙な感じだったから」
「はあ? なんだそれ」
 首をひねって僕が聞くと、彼女は困ったような笑い損ねたような、変な表情をした。
「それ、コンタクトなの」
「は?」
「カラーコンタクト」
 ソーニャの赤い大きな目がこちらに向いた。そういえば彼女も自分の目と髪が嫌いだった。当然だと思う。だっ てここに入れられた大半の理由がそれなのだから。僕も嫌いだ。僕も僕の目と髪が大嫌いだ。

 僕の家は、フランスの都心部の一角にあった。それなりに裕福な家だった。けれど両親は共働きをしていて、子供の面倒を見る時間なんて十分に取ることは出来なかった。その代わりとでも言おうか、なぜか近所付き合いというものを欠かすことのなかった家だったから、僕も、僕と年の離れた二人の兄も、近くに住んでいる家族や夫婦に可愛がられて育った。両親のくれるはずだった愛情は他の人たちに十分もらっていたから、あまり不満はなかった。だけどある時気付いた。父親の自分を見る目が恐い。兄たちの自分に対する態度がよそよそしい。母親の、自分に向ける笑顔が痛々しい。何故だろう、と考えて、すぐにその理由に思い至った。色が違うんだ。自分だけ、家族の中で自分だけ、髪と目の色が違う。金の髪と碧の目。近くに住んでいた夫婦の、男の方にそっくりな色だった。
 それから二年が経って、僕はあの男にますます似てきたようだった。もうごまかしはきかなかった。僕の家族に元々入っていた亀裂が無視できないところまで大きくなっていた。ある夜、リビングに来るようにと両親に呼び出された。なんとなくだけれど、これから言われることは分かっていた。両親が夜な夜などこかに電話していたのを知っていたから。施設に、お前を入れようと思うんだ。予想していた言葉が父親の口から出た。家にはお金がなくて大変だから、とか、少しの間離れているだけだから、とかいろいろ言っていたけれど、嘘だと分かった。でも否とは言わなかった。自分でも理解していた。この家には居場所がない。
 三日後の夜に、僕はこっそり家から連れ出された。近所に僕を見せたくないが故の行動だと、そう感じた。けれど、車の止めてある場所まで歩いて行ったとき、運悪く、あの夫婦のもう片方の、いつも僕のことを気にかけて面倒を見てくれていた女性に鉢合わせてしまった。彼女は買い物に行っていたようで、手に小さな袋を下げていた。こちらに気付いたようで驚いて目を丸くさせると、両親が発しているピリピリした空気を感じ取ったのか、すぐにいぶかしむように眉をひそめた。こんな夜に、それにアルくんまで連れて、どこにお出かけですか。父親は一瞬迷って視線をさまよわせながら、アルが熱を出したので病院に、と言った。彼女はキュッと眉をしかめると、近づいて僕の額に手を当てた。熱、出てなんかないじゃないですか。僕は困って母親の方を見ると、視線をそらされ顔をそむけられた。見捨てられた、という実感がここになってようやく湧いてきた。アルくんを、どうするつもりですか。彼女の言葉にたじろいだ父親が、歯をかみしめて溜め息を吐き出すのが視界の隅に見えた。これから、アルを施設に連れて行くんだ。それを耳にした彼女がギョッと目を見開いた。何故施設に、アルくんはいい子じゃないですか、どうして。問いただす彼女に苛立ちを覚えたのだろう、父親が低く唸って声を荒げた。夫のこともちゃんと見れていない人には、うちのことに首を突っ込んで欲しくない。彼女は一瞬茫然とした後、両親と僕を見比べた。まさか……、という小さなつぶやきが彼女の口からもれた。父親が僕の腕を強く掴む。引きずってでも、という勢いと気迫に押され、僕は車のある方へ足を進めた。彼女の方を振り返った。泣きそうな顔だった。車の中に押し込むようにして乗らされた後、もう一度彼女の方を見た。座り込んだままこちらに背を向けていた。横に、彼女が持っていた袋の中身が転がっていた。静かな郊外に車のエンジン音が響く。結局、彼女は二度とこちらを振り返ってはくれなかった。
 ――――どのくらい走ったのだろうか、気付かないうちに深く眠り込んでいたようで、父親に揺り起こされた。どうやら施設についたようだった。門の前で、事前に連絡されていたのか、施設の職員らしき人が待っていた。両親と軽く言葉を交わした後、父親に背中を押されて職員の顔を見上げた。悲しんでいるような、でも僕が来ることを歓迎しているような。判別の出来ない複雑な表情だった。だけど、それは確かに笑顔だった。じゃあ、行くからな。そう父親に声をかけられて両親の方に顔を向ける。じゃあね。母親がやっと一言だけ口をきく。それに一つうなずいて、あとは二人をぼんやりと眺めていた。来た時のまま、エンジンをかけっぱなしの車に近づいていく両親の背中になんとなく手を伸ばす。伸ばした手は届かなくて、僕の手は空気を掴んだだけだった。当たり前だ。だって、僕は、捨てられたんだから。じわりと視界がにじんだ。施設に連れて行く、という話を両親に聞かされてから、初めて僕が流した涙だった。浮気が発覚して家庭崩壊しそうだったから、証拠隠滅のために間違って生まれた子どもを施設に入れました。何それ、どんなジョークだよ。笑えない、全然笑えない。
 嫌いだ。あの二人も、あの男も、あの男のとよく似た色をした僕の髪と目も、あの人に最後まで声をかけられなかった自分も、全部、嫌いだ。

「アル?」
 ソーニャに声をかけられて、やっと我に返った。ずいぶんと長く思考の海にダイブしていた気がする。
「……どうしたの? 大丈夫?」
「え、ああ……大丈夫、大丈夫だ。何でもないよ」
 さっきまでの陰鬱とした気分を振り払うように、二、三度軽く頭を振る。
「……僕も、カラコン買おうかなあ……」
「え、なんで?」
「なんでって……なんとなく、さ。たまには気分変えようかなって」
 僕がそう言うと、彼女は目をぱちくりさせて、僕の顔を凝視した。そしてギュッと眉をよせる。何故。
「もったいない」
「…………はあ?」
「もったいない。せっかくきれいなのに」
「きれいって……こういう色の目した人なら結構いるし、あんまり珍しいもんでもないだろ? それに僕がカラコンしてもお前が困るわけじゃないし、いいだろ別に」
 きれいと言われたことに困惑して思わずそう返すと、ううん、とうなった後にソーニャが歯切れ悪く言葉を続けた。
「アル自身は、それなり、というか、 普通なんだけど……アルの目は、結構……気に入ってるの」
「だからなんで」
「…………だって私のことを偏見なく見てくれたの、アルが初めてだったから」
 予想外の理由にびっくりしてぽかんと彼女を見ていると、それにほら、青空の色みたいで澄んでてきれいだし、などと取ってつけたような理由を慌てて並べ始めた。その様子がおかしくておもしろくて、いつの間にか僕の顔に笑みが浮かんでいた。
「わ、笑わないでよ!」
「笑ってないよ、そういう基準でいくなら、僕もソーニャの髪と目、好きだなあって思って」
「すっ…………!? ……ま、まあ、そうね、私もアルの髪と目、好きよ、そういう基準で行くんならね! アルの事じゃないから、あくまで髪と目だから!」
「はいはい」
 普段ののんびりとした、マイペースそうな雰囲気とは一転して、早口にいろんなことをまくし立てる彼女を半分笑いながら眺めて、次に、視界の隅っこで揺れている自分の髪に目をやる。さっきまでは大嫌いだったけど、でももしかしたら、さっきよりは少しだけ好きになれるかもしれないな、と、そんなことを思った。今は見ることは出来ないけれど、勿論髪を見ている僕の両目も。
「ほら、ソーニャの言ったことは分かったから、そろそろ掃除再開する ぞ」
「…………」
「早く終わらせないと、夕食に遅れるだろ」
「う……うん…………まあ、いいか」
「あとは掃除機かけるだけだから、ソーニャが持って来てよ」
「はあーい……」
 立ち上がるソーニャの肩で銀白が揺れる。それなりに大変なこともあるみたいだけど、でもやっぱり、きれいだと思う。僕の中でこの髪と目に対する感情が少しだけいいものに変わったように、ソーニャも自分の髪と目を少しでも好きになれる日がくるといい。彼女が掃除機を部屋まで引きずってくる音を耳にしながら、僕はそんなことを祈るのだった。



ネタで遊びすぎて文体安定してませんね……精進します。部誌の企画(『伸ばした手は届かなくて、僕の手は空気を掴んだだけだった。(人称変更可)』を冒頭に入れて小説を書くというもの)に投下した文でした。ほのぼの書こうと思ってたはずなんですが……あれ?軽く鬱入ってるような……あるぇ?まあいいか。部誌に載せたところ、独白部分がお気に召された方がいらっしゃたのでちょっと(どころではなく)嬉しかったです。独白の多さがさすがに不安だったので。あと当時、部誌編集の子にページ数どれぐらいになりそう?と聞かれて、三ページくらいかなー?とかのん気に返しつつ制作していったところ、いつもの形式で印刷するとどう考えても規定枚数内に収まりきらないのが発覚して一人修羅場ってたということがあったりなかったり……今ではいい思い出です。ところで現実世界ではアルビノは勿論、金髪碧眼の方もあまりいらっしゃらないんだとか……平面では結構見るのに(苦笑)
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