どうやら麓の方は、元あった獣の道を人の為にわざわざ作り替えていたらしい。頂上に近付くにつれ幅が狭くなってきた山道を歩く途中、今更ながらそんな事実に気が付いた。ここまでずっと上り坂が続いた為なのか、少し息が切れている。もう随分前から休息が欲しいと足が嘆いていた。だが大分登り続けたからだろうか、先程から坂が緩やかになってきている。山頂が近いのかもしれない、そんな不明瞭な推測を胸に、軋む脚を無視して先を急いだ。
 あれからもう暫く歩き続けると、人の手が加えられたと明確に分かる不自然に開けた場所に出た。嗚呼、此処だ。自分が目指していたのは確かにこの場所であった。ザクリ。足元の湿った土が音をたてる。喉が酷く渇いている。熱い。血液が沸騰しているかのようだ。指の先から爪先まで、全身に鼓動が響き渡っている。今自分の胸の内に存在するのは、初めて間近に見ることになるだろうあの儀式への畏れだろうか。それとも、これから自ら戒律を破ろうとしていることに対する緊張と、それに伴うある種の興奮だろうか。
 頭上に広がる蒼に染まった空。遮るものなど何一つないそこから光が降ってくる。目が眩む程強いそれのせいで、長くはそちらを眺めていられそうもなかった。
  風に紛れて羽音が聞こえる。右を振り返ると、遠くの方に彼女たちが群がっているのが見えた。視界には混ざり合う土と岩。爽やかさを感じさせる色などではない、けれど、どこまでも交じり合うそれを不思議とみにくいとは思わない。視界の隅に彼女たちが一段と多く群れている場所が映った。何故だか酷く目を引いた。吸い寄せられるように一歩踏み出す。足元でしぶとく生き続けていた雑草は、俺に踏み付けられて呆気なくその生涯を終えた。くしゃり、ぐしゃり。地面を踏み締める俺の気配に気が付いたのだろう、彼女たちが鋭く目を光らせ、探るようにこちらを見つめる。静かに俺を見定めるそれらは捕食者の目だった。
 どうせお前も、そのうち私の腹に収まるのだろう?
 彼女たちは、今にもそんな言葉をその嘴から吐き出しそうな空気を纏っていた。目を逸らす。あの温度を感じさせない二つの黒曜石がなかなか頭から消えてくれない。
「悪いね、お前たちの食事を邪魔する気はなかったんだよ」
 ゆっくりとした足取りで群れの中心部に向かって進む。人の言葉を理解しているのかそうでないのかは知らないが、何故だか彼女たちが一歩下がったように見えた。音も立てずに黒い瞳をぎょろつかせながらじっとこちらを伺っているその様は異様だった。吐き気がした。思わず口に手を当てると、その動作が自らに危害を加えるものだとでも思ったのだろう、数羽がその場を飛び去る。そうして、それによって空いた空間から覗き見えたものに思わず俺は息を呑んだ。
 嗚呼、この人だ。あんなに抜けるように白かった肌は、血の気が抜け青ざめ、土色に変色している。長く艶のあった黒髪は今や見る影もない。足などは最早原型を留めておらず、解体され啄ばまれたせいか、体のあちこちから黒ずみ変色した肉の部分が見え隠れしているが、それでも見間違えようがなかった。愛しい人。
 土の上に無造作に放り出されている手に手を重ね握り締める。温度を失ったはずのそれは外気に晒され、どこか生暖かい。たがどうしても、生きているという枠組みには入れることが出来ない温度だった。生温い肉塊。徐にその不完全な拘束を解いて彼女の頬を撫でた。半身の崩れ具合からは考えられない程、彼女のこうべは酷く奇麗なまま残っていた。これは偶然か、それとも――。
 ふと、頭の中に契りを交わした時の彼女の顔が浮かんだ。感情を表情に変換することに慣れていないが故に酷くいびつな笑顔ではあったが、確かにそれは一人の女としての綺麗な笑みだった。約束だ、と彼女は言った。約束だ、必ず共に還ろう。そうだ、あの約束を果たす為、自分は今、此処にいる。
 彼女の左の瞼を押し開ける。瞳孔が開き焦点が合っていない、濁った瞳が姿を現した。その輪郭をなるべく壊さないようにしながら、眼孔と眼球の間の溝に指をかける。ぶちり。肉のちぎれる音が辺りに響く。肉体が腐りかけていたせいだろうか、予想よりも遥かに簡単にくり抜くことが出来た彼女の目は俺の掌にすっぽりと収まった。後には残るは、こちらを見つめる眼窩。深淵。懐から小瓶を出して蓋を軽く捻る。きゅぽん、と音を立てて開いたそれの中にある液体に、彼女の一部を沈める。少し歪な球になってしまったそれは、泡を吐きながら底にゆっくりと着床した。目の高さまで掲げて瓶を揺らすと、一拍遅れて中のものも合わせるように泳ぎ始める。外からの光波を反射して表面がきらきらと光る。
 彼女は死の間際に何を思っただろう。俺は彼女の思考の片隅に少しでも存在していただろうか。今はもうあの契りを忘れて、いつかまた降り立つだろう来世を望んでいるだろうか。分からない。いずれにせよ彼女はまだここに在るのだ。賽は投げられた。恐れることなど何もない。俺がいつの日かあの捕食者たちの腹に収まるまでは、彼女もまた輪廻の環の中に還らないのだから。
 頭上には立派な翼を広げた鷹が堂々と旋回している。この時、確かに彼女も俺も腐敗していたのに違いなかった。



ゆるやかに狂う



今回のメインテーマは鳥葬、戒律、刷り込み、破戒。大体こんな感じでした。鳥葬が気になりすぎて主題にした次第。でも独自解釈多分に含んでいるので参考にしない方がよろしいです。詳しく知りたかったら個人的に調べればいいじゃない!(丸投げ感満載)と思わなくもないですが、とりあえず検索の際は自らのグロ耐性を測り間違えないようにしつつ、背後に十分お気をつけてどうぞ。ご遺体を云々とか言うのはちょっとどうかと思うのですが、とりあえず食事の前後には検索かけない方がいいのではないかと。
130501


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